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小さな香り歳時記 7「立春」

イラストレーターでエッセイストの平野えり子さんのコラム「小さな香り歳時記」。
四季のある日本の暮らしの中で、ふと感じる季節、ふと漂ってくる香りを綴っていただきます。(偶数月更新)
第七回目は「立春」です。



二月は春の始まる月。
空気の冷たさは厳しいけれど、節分の晩に豆撒きをした翌朝は、もう立春だ。
季節を次々先取りしていく暦。
それでも、その暦にせき立てられるようにして人々が季節の移ろいを実感してきたのも事実だ。

暦の季節は立春から始まる。
日脚も伸びてきて、本格的な春まであと少し。

そろそろあの梅が咲きはじめる頃だ。
確かめに行かなくちゃ。
家から坂道を下った先に川が流れていて、両岸には田畑が広がっている。
その一画が梅の林で、毎年見事な白い花を咲かせて美しい。
実梅のための梅林なのだろうが、満開の頃にはあたりにはほんのりと甘酸っぱい香りが漂い、つかの間の梅見気分を味える。

梅の花をこんなに好むようになったのは、ようやくこの十年くらいのことかと思う。
それまであまり梅の木、梅の花に接する機会がなかったのだ。梅の魅力をわかっていなかった。

その魅力にハッと気付かされたのは、本物の花ではなく、最初は絵からだった。
浮世絵師、鈴木春信の作品「夜の梅」。
黒地の闇をバックに、娘が橋の上で手燭をかざして白梅の花を見上げている。
絵を見ているこちらまで、梅が香ってくるようだった。

「梅の花か。今まであんまりよく見たことがなかったな」

以後、梅を気にするようになると、まだ寒気の厳しい冬枯れの景色の中に、白くぼんぼりのように咲く梅の木を見つけるようになった。
また、夜に住宅街を歩いていると、ふわりといい香りがして見回すと、庭木の梅が、道に枝をさしかけるようにして満開だったこともある。

遠くから見る梅もいいし、近寄って見てもまたその花はかわいらしい。
枝にしがみつくようにして咲く、お椀型の花。まん丸のつぼみもいじらしいほどだ。

「やっぱ梅だわ」

歌川広重による「名所江戸百景」のうち、「蒲田の梅園」「亀戸梅屋舗」も、江戸の人々が梅見を楽しんだ様子がよく伝わってくる。
おまけに梅が香も届くようだ。

立春の翌日、果たして川べりの梅林は満開一歩手前の見頃だった。
やっぱり暦は当てにできる。
関東の、この季節特有の抜けるような青空をバックに白い花はまぶしいほどで、光が強すぎたせいか、あまり香りは感じられなかった。


絵・文 : 平野えり子

1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。
イラストレーター、エッセイスト。
山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイの作品を多数発表。
www.yes-hhh.website

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